10月5日 聖霊降臨後第17主日
教会の暦は終わりに近づき、待降節から新しい一年が始まります。歩みを振り返ると、教会も社会も変化の時を迎えています。牧師数の減少、教会の統合や閉鎖など課題は山積しています。しかし私たちは不幸ではありません。神の憐れみのうちに生かされているからです。どんなに小さく見えても、神の民として歩むこと自体が幸いな出来事なのです。
今朝の聖書は、弟子たちの願い「私どもの信仰を増してください」から始まります。イエスさまは「もしからし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に『根を抜き、海に植われ』と言えばその通りになる」と答えられました。この言葉は、弟子たちを叱責するものではなく、信仰とは何かを教える言葉です。イエスさまは「あなたがたには信仰がない」と言われたのではなく、「小さくとも、そこに命ある信仰がある」と見ておられます。からし種は極めて小さいものですが、やがて大きな木に成長します。信仰もまた、すぐに大きくなるものではなく、神の時に従って確かに育っていくのです。
私たちの教会の歩みも、からし種のように小さく見えるかもしれません。しかし、神はその小さな種を用い、時に見えないところで成長を続けさせてくださっています。イエスさまの歩みもまた、十字架にかかるほどに小さく見えるものでしたが、神の命はそこから世界に広がりました。
この信仰の種を受け継いできたのが、先達たちの歩みです。そして今、その働きは私たちに委ねられています。なぜ教会を守り、神の言葉を伝え続けるのか。それは報いを得るためでも、評価されるためでもありません。神が「あなたに託した」と言ってくださったからです。信仰とは、この神の呼びかけに応えること。自らの小ささを知りながらも、神の力を信じて立ち上がることです。
イエスさまの「からし種ほどの信仰があれば」という言葉は、私たち自身に語られています。神が植えてくださったその信仰の種は、すでにこの教会に、そして私たちの心に蒔かれています。小さくても、そこに確かな命があります。だからこそ私たちは、神に委ねられた働きを喜びと感謝をもって担い続けます。主の憐れみと導きに信頼しながら、これからも教会の歩みを共に続けてまいりましょう。