顕現後第2主日
今から二年ほど前、日本のルター研究を代表するT牧師が天に召され、数日後、神学校で旧約聖書を教えておられたO牧師もまた召されました。O牧師は日本基督教団の牧師でありながら、長年ルーテル神学校で旧約を教え、多くの牧師たちを支えてくださった方です。決して大きく名を知られた存在ではなかったかもしれませんが、主のために誠実に仕え、最後まで説教原稿を残して旅立たれました。私はその歩みに、天に積まれる豊かな実を思わずにいられません。
私たちは生きている限り、喜びの知らせだけでなく、悲しみや別れにも向き合わねばなりません。この一年で教会からも三名の方が召されましたが、その葬儀のたびに私は「教会は死の先にある希望を信じている」と語ってきました。その希望こそ、イエスさまが示してくださった根源的な希望です。
洗礼者ヨハネは神に定められ、悔い改めを促す洗礼を授ける者として立たされました。そしてイエスさまもまた、「神さまがそう定めた」ゆえに洗礼を受け、十字架に向かい、復活の命を示されました。教会の歩みも、私たちが今ここでみ言葉に耳を傾けていることも、すべて神の導きの中にあります。
ヨハネの弟子たちがイエスさまに尋ねた「どこに泊まっておられるのですか」という問いは、やがて神の国への問いへと変えられました。イエスさまは「来なさい。そうすれば分かる」と招かれます。神の国がどのような場所か私たちは知りませんが、涙が拭われ、悲しみが喜びへと変えられる希望の国を信じています。名が知られることではなく、神の御心に応えて生きることを喜びとし、限りある命の中で限りない希望を信じて歩んでいきたいと思います。