礼拝説教

暗がりに灯った声

1月25日 顕現後第3主日


都南教会は次週、2026年教会総会を迎えます。総会資料も配布され、準備が進められていますが、私たちが見つめるべきは、2025年にこの教会に確かに与えられた神さまの出来事です。嬉しい報せも、戸惑いや悲しみの報せも、すべては神さまから与えられた出来事でした。総会は資料を整えることが目的ではなく、教会のこれからを神の前で分かち合う大切な時です。準備は過程であり、総会そのものがゴールではありません。

今朝の福音書もまた、弟子となることが目的ではなく、そこから歩みが始まることを語っています。弟子たちは特別に優れていたから選ばれたのではなく、むしろ相応しくない姿を抱えたまま召されました。弟子であることは到達点ではなく、神に従う旅の出発点なのです。

マタイ福音書は、イエスさまの宣教開始に際してイザヤ書の預言を挟み込みます。「闇の中に住む民は大いなる光を見た」という言葉は、かつての捕囚からの解放を超え、今まさに成就しようとする神の救いを示しています。真の光であるイエスさまの到来によって、神の国が近づいたのです。

イエスさまの言葉「悔い改めよ。天の国は近づいた」は、条件付きの命令ではありません。天の国が近づいたから悔い改めるのではなく、神がそう求めておられること自体が理由なのです。同じように、弟子たちは「人間をとる漁師にするから」ではなく、「わたしについて来なさい」という招きに応えて従いました。目的や成果が先にあるのではなく、神に従うことそのものが出発点なのです。

ルターが語るように、「悔い改めよ」という言葉は人を罪人としますが、「天の国は近づいた」という約束によって、それは福音となります。教会もまた、能力や成果によって成り立つのではなく、神に招かれ、神に従う群れです。新しい年度を迎えるにあたり、私たちはただ神に従う、その一点に心を向けて歩み出していきたいと思います。

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