礼拝説教

みなで迎える、希望の朝

2月1日 顕現後第4主日・総会礼拝


幸いは、財産や健康、地位のように量や比較で測れるものではありません。心の貧しい人、すなわち霊的に自らの至らなさや罪を自覚し、神の前にへりくだって立つ人こそが幸いだと語られます。そのような人は、自分を被造物として知り、天地を創られた神を仰ぐ者であり、天の国に入る者とされます。天の国の資格は人が決めるものではなく、主ご自身が与えられるものだからです。

山上の説教の場には、心の貧しい人、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇く人、憐れみ深い人、平和を造る人、義のために迫害される人々が集っていました。社会の中で満たされず、周縁に置かれてきた人々に向かって、イエスは幸いと希望を語られました。その希望は、自分の願いがかなうことで得られるものではなく、むしろ望んだ道から離れているように思える状況の中で見いだされる希望です。誰も希望を見いだせなかった空の墓から復活が始まったように、主が幸いがあると言われるところに、確かな希望があります。

悲しむ者が、自分の悲しみを神が知っていてくださると気づく時、そこにはすでに慰めがあります。柔和な者が、神の御用として働く中に神の喜びを見いだすならば、そこはすでに天の国の入口です。幸いとは、自分を中心とした満足ではなく、私たちを見つめ、知っておられる神のまなざしに気づくことから始まります。

総会礼拝において、一年の歩みが神に導かれてきた記録であることを確認します。資料に記された出来事や数字は、主の働きの積み重ねです。今年の主題「主が共に。また、あなたと共に。」は、教会の在り方そのものを示す言葉です。私とあなた、そして他教会や世界の人々と共に、主がいてくださることへの感謝と希望をもって、新たな歩みを始めていきます。

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