2月8日 顕現後第5主日
イエスさまは「あなたがたは地の塩である。もし塩がその持ち味を失ったなら、どうやってそれを取り戻すことができるだろうか」と語られました。この言葉は、調味料としての塩の価値を語るものではなく、私たちキリスト者のあり方を示しています。キリスト者にはそれぞれの持ち味がありますが、ルーテル教会の持ち味の一つは「信仰義認」です。これは、人が行いによってではなく、神さまから与えられる信仰によって義とされるという理解です。救いの根拠はすべて神さまの恵みにあり、私たち自身の正しさに基づくものではありません。
しかしそれは、善い行いが不要であるという意味ではありません。ルターも、人の業を無意味なものとは考えませんでしたが、それによって救いを得ることはできないと語りました。救いは純粋に神さまの恵みであり、人の努力が入り込む余地はありません。人の業に注目しすぎると、人の評価や賞賛を求める行いへと傾いてしまいます。だからこそ、私たちは「あなたがたは地の塩である」「世の光である」というイエスさまの言葉を深く受け止める必要があります。
塩は目立たない存在ですが、食材を生かすために欠かせないものです。塩は自分のために存在するのではなく、他のもののために用いられます。同じように、私たちも誰かのために存在する者とされています。また光は、周囲を照らすために置かれます。教会も隠されるものではなく、世を照らす存在として歩むことが求められています。
律法は人を選別する規則ではなく、自らの罪を映し出す鏡です。誰も律法を完全に守ることはできませんが、イエスさまはそれを廃するのではなく、神と隣人への愛として完成させると語られました。私たちは恵みを受け、その恵みに生かされながら、地の塩、世の光として歩んでいくのです。