2月15日 変容主日
今朝は主の変容主日です。今週の灰の水曜日から四旬節が始まり、復活祭までの日曜を除く四十日を歩みます。これは、イエスさまが荒れ野で四十日断食し、誘惑を受けられたことに由来する特別な期間です。教会の伝統では断食が行われてきましたが、ルター派では人の行いによって救われるのではなく、「信仰義認」、つまり信仰によってのみ義とされると教えます。だから断食を義務とはしません。ただ、主の受難を覚え感謝するために、静かに身を慎むことは意味のある歩みと言えるでしょう。
そこで思い浮かぶのが「山に登る」という姿です。山登りには備えと覚悟が要ります。同じように、私たちは今、福音書という山を登っています。この山全体が語っているのは「イエスは神の子」であるということです。一つ一つの奇跡や言葉だけでは全体像は見えませんが、登り続ける中で、その真実が次第に見えてきます。弟子たちもまた、イエスさまと共に山へ登りました。何が起こるのか十分に理解しないまま、それでも主に導かれて歩んだのです。
山は祈りと神の臨在の象徴です。モーセが十戒を受けたシナイ山、復活の主が弟子たちに使命を託した山――聖書では大切な出来事が山で起こります。今朝の箇所でも、イエスさまは山上で御姿を変え、顔は太陽のように輝きました。そこにモーセとエリヤが現れます。驚いたペトロは仮小屋を建てようと申し出ますが、それは天の栄光を地上の方法でもてなそうとする思い違いでした。すると天から「これはわたしの愛する子。これに聞け」との声が響きます。恐れて伏す弟子に、イエスさまは自ら触れ、いつもの姿で傍らに立たれました。栄光の主が、触れることのできる近さで共にいてくださる――そこに「神の子」の真実があります。
やがて復活の後、弟子たちはこの出来事を証ししました。直接見た者だけでなく、その証言を受け継いだ人々も「キリストの威光を目撃した」と語り継いだのです。その確かな福音が、今も私たちを山へと招いています。頂きに至るまで試練はあるでしょう。それでも、「これに聞け」との御声に従い、手を差し伸べてくださる主に導かれて歩むとき、私たちもまた「イエスは神の子」と証しする者へと変えられていくのです。