礼拝説教

ゴールテープの先

10月12日 聖霊降臨後第18主日

教会暦も終わりに近づき、主イエスはエルサレムへ向かう途上、サマリアとガリラヤの境を通られます。そこで出会ったのは「規定の病」を負う十人の人々でした。彼らは社会から隔離され、遠くから声を張り上げます。「イエスさま、先生、私たちを憐れんでください。」それは治してほしいという願いを超え、「どうか私を御心に留めてください」との祈り、存在そのものを訴える叫びでした。

イエスさまは「祭司のところへ行きなさい」とだけ言われます。癒しの保証もありません。ただ言葉に従って歩き出す彼らの途中で、癒しが起こりました。十人皆が癒されたのです。しかし、そのうち一人だけが戻ってきて、神をほめたたえ、イエスの足もとにひれ伏しました。その人はサマリア人でした。イエスさまは言われます。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

他の九人も癒されました。律法の定めに従い、祭司のもとに向かった彼らを責めることはできません。けれど、戻ってきた一人は、律法よりもイエスとの関わりを選びました。彼はただ病が癒されたのではなく、救われたのです。イエスさまの言葉「あなたの信仰があなたを救った」は、「あなたはすでに救われていた」という意味でもあります。イエスの名を聞き、その方に望みをかけたその時から、救いはすでに始まっていたのです。

私たちもまた、この帰ってきた一人のように主のもとへ戻る者です。癒しや祝福の結果ではなく、「主よ、憐れみたまえ」と祈るその瞬間に、神は私たちを見つめ、救いの中に置いてくださっています。人生の中で、私たちはさまざまな痛みや負い目を抱えますが、それらが私たちを神から遠ざけることはありません。むしろその傷こそが、主の憐れみと出会う場所となるのです。

今日、私たちがここに集い、祈り、み言葉を聞くこと自体が、救いのしるしです。主はすでに私たちを憐れみ、救ってくださった方です。だからこそ、イエスさまが言われたように、私たちは「立ち上がって行きなさい」と命じられています。救われた者として、感謝と喜びをもって日々の歩みへと出ていきましょう。

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