1月11日 主の洗礼主日
今日は主の洗礼主日です。罪のない神の子であるイエスさまが、なぜ悔い改めの洗礼を受けられたのか。考えれば考えるほど不思議な出来事です。洗礼者ヨハネ自身も「立場が逆だ」と戸惑いましたが、イエスさまは「すべての義を成就することが、私たちにふさわしい」と語られました。この「義」とは、人間の考える正しさではなく、神の御心がこの世界に実現することを意味しています。
イエスさまは、人々と同じ列に並び、同じ場所に立たれました。それは単なる連帯や共感を超え、神の義を成し遂げるためでした。悔い改めを促すヨハネも、人々と共に歩むイエスさまも、向いている方向は同じで、神の義の実現に仕えていたのです。その始まりとして、イエスさまは洗礼を受けられました。
洗礼の時、聖霊が鳩のように降り、「これはわたしの愛する子」という天の声が響きます。これはイザヤ書に語られた救い主の預言の成就であり、イエスさまが人と神との間に立ち、傷ついた者を回復し、希望の光を再び灯す方であることを示しています。イエスさまの歩みは、常識や理屈を超えたものでしたが、覆されたのは人間の側の価値観であって、神の義そのものではありません。
神さまは、罪をなかったことにするのではなく、罪を罪として引き受ける道を選ばれました。そのために御子を世に遣わし、十字架へと向かわせたのです。洗礼は、その十字架への道の第一歩でした。罪ゆえに死すべき私たちであっても、神の義によって救われるに相応しい者とされています。だからこそ今、力による正義ではなく、神の正義がこの世界に行き渡り、傷つき苦しむ人々のただ中に、主の慰めが確かに広がることを祈りたいのです。