礼拝説教

一寸先は光

5月3日 復活節第4主日


本日の福音書は、イエスさまが十字架にかけられる前夜、弟子たちと最後の晩餐を共にされた場面です。そこでイエスさまは、「心を騒がせるな」と語り始められました。なぜなら弟子たちの心は、大きな不安に揺れていたからです。イエスさまが自分たちのもとを去ってしまう、その予感が彼らを恐れさせていました。

弟子たちにとってイエスさまは、救い主そのものでした。病を癒し、悪霊を追い出し、嵐を静め、多くの人々を養う奇跡を行われました。また、神のみ言葉を正しく教え、宗教指導者たちの偽善を鋭く指摘されました。弟子たちも群衆も、この方こそイスラエルを解放し、新しい王国を築く王だと期待していたのです。しかしイエスさまは突然、「私は去って行く」と告げられました。弟子たちは戸惑いました。民族の救いはどうなるのか、自分たちはどうなってしまうのか。不安に包まれた彼らに、イエスさまは「神を信じ、わたしを信じなさい」と語られたのです。

イエスさまは、ご自身がいなくなった後も弟子たちが希望を失わないように、言葉を残されました。その言葉は、現代を生きる私たちにも向けられています。教会もまた、さまざまな働き人によって支えられています。私はコロナ禍後に開かれた教会の総会で、多くの人々が福祉や宣教の現場で献身している姿に励まされました。それぞれ役割は違っても、皆が同じ主に仕え、一つの体として歩んでいることを実感したのです。

弟子たちも皆同じではありませんでした。性格も違い、不安や恐れを抱えながら、それでもみ言葉を携えて世へ遣わされていきました。その中でトマスは、「どこへ行かれるのか分かりません。どうしてその道が分かるでしょう」と尋ねます。するとイエスさまは、「私は道であり、真理であり、命である」と答えられました。これは、イエスさまご自身こそが父なる神へ至る唯一の道だという宣言です。

私たちは人生で多くの道を選びます。しかし、神へと至る道はただ一つ、イエスさまです。聖書は、その道を示すしるべです。私たちは気づかぬうちに、この「イエスさまの道」に導かれています。人によって歩み方は違って見えても、皆が同じ主へ向かって歩んでいるのです。

イエスさまは、不安に揺れる弟子たちに希望を示されました。その言葉は今も私たちを支えています。それぞれの場所で異なる働きを担いながらも、私たちは一つのみ言葉に導かれています。だからこそ心を騒がせることなく、希望をもって主の道を歩み続けたいと思います。

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