7月19日 聖霊降臨後第8主日
先週に引き続き、今週もイエスさまの「譬え」に聞いてゆきたいと思います。譬えとは、目に見えない「天の国」を、私たちの身近な事柄に置き換えて語るものです。今朝の譬えでは、畑、麦、そして毒麦が登場します。
畑に毒麦が生えていることに気づいた僕たちは、「抜いておきましょうか」と主人に尋ねます。しかし主人は、「そのままにしておきなさい」と答えます。毒麦を抜く際に、麦まで一緒に抜いてしまうかもしれないからです。これは当時の農業の常識とは異なる行動でした。主人は効率や正しさを優先するのではなく、まだ小さな麦の芽を大切にしたのです。そこには、この世の価値観とは異なる「天の国」の姿があります。
さらに不思議なのは、収穫の時には「まず毒麦を集めて束ねなさい」と言われていることです。なぜ、そこまでして毒麦を扱うのでしょうか。
宗教改革者マルティン・ルターも、この箇所に戸惑ったと言われます。自分が「毒麦」と考えるものを取り除こうとした宗教改革者にとって、「毒麦もそのまま育てなさい」という言葉は、受け入れ難いものでした。しかしルターはやがて、この言葉の恵みに気づいてゆきます。
私たちは、何が麦で何が毒麦なのか、本当の意味では判断できません。社会においても、教会においても同じです。だからこそ私たちは、日々み言葉に聞き、祈りながら歩みます。最終的に選り分けるのは私たちではなく、神さまなのです。
私自身が「毒麦にしか見えない」と思われる時にも、神さまは私を引き抜かず、なお養い育ててくださる。その恵みに生かされるならば、私もまた、他者を簡単に裁かず、その人と共に歩むことができるのではないでしょうか。
天の国は、遠い未来にだけあるのではありません。イエス・キリストご自身が、この地に蒔かれた一粒の麦となられました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである」とあります。その一粒から福音の実りが広がってゆきます。
私たちは、まだ完成していないこの世界の中で、迷い、悩みながら育てられています。やがて来る収穫の日を神さまに委ね、今日もみ言葉に励まされながら、互いを裁くのではなく共に歩み、天の国の完成を待ち望んでまいりましょう。